理論と理想と現実のあいだで
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― 太陽のように、月のように ―
「明」という字を見るたびに、不思議と心が温かくなります。
普段は何気なく使っている一文字ですが、「明るい」「説明」「証明」「発明」など、私たちの暮らしの中には、「明」という字がつく言葉がたくさんあります。
「判明」「解明」「鮮明」「文明」「英明」もそうです。
「明るい」は、心を明るく照らしてくれます。
「説明」は、分からなかったことに光を当ててくれます。
「証明」は、真実を照らし出してくれます。
「判明」や「解明」は、見えなかったものを明らかにしてくれます。
「発明」は、新しい未来に光を灯してくれます。
「鮮明」は、ぼんやりしていた景色や記憶をくっきりと映し出してくれます。
「文明」は、人々の暮らしをより豊かに照らしてきました。
「英明」は、物事の本質へ光を当ててくれます。
こうして並べてみると、「明」という字には、何かを照らし、明らかにするという共通した意味が込められていることに気づきます。
「明」という字が入る言葉には、心に光を灯し、自然と前を向かせてくれるような響きがあります。
そして、「明」という字は、「日」と「月」からできています。
昼の空を照らす太陽。
夜空に静かに浮かぶ月。
まったく違う二つの光が寄り添って、一つの漢字になっていることに気づいたとき、「明」という字が少し特別なものに見えてきました。
太陽は、世界を明るく照らし、新しい一日の始まりを知らせてくれます。
その光に包まれると、「今日も頑張ってみよう」と自然に前を向くことができます。
月は、静かな光で一日の終わりを包み込みます。
何も語らず、ただ静かにそこにあるだけで、「今日も一日、お疲れさま」と寄り添ってくれているようです。
どちらが優れているということではありません。
力強く照らす光もあれば、静かに包み込む光もある。
そのどちらも、私たちにはなくてはならない大切な光です。
人も同じなのかもしれません。
誰かを励ます日もあります。
一緒に笑い合う日もあります。
ただ話を聞く日もあります。
何も言わず、そばにいるだけの日もあります。
その一つひとつが、誰かの心を照らす光になっているのではないでしょうか。
真言宗には、「光明(こうみょう)」という大切なお教えがあります。
光明とは、大日如来の慈悲と智慧が、すべてのものを分け隔てなく照らす光です。
うれしい日も。
悲しい日も。
元気な日も。
立ち止まってしまう日も。
その光は変わることなく私たちを包み込み、「あなたはそのままで大丈夫」と静かに語りかけてくださっています。
私たちは、知らず知らずのうちに、その光に支えられながら毎日を生きています。
だからこそ、誰かを思いやる言葉も、そっと差し伸べる手も、温かなまなざしも、その光に包まれて育まれているのかもしれません。
だから、いつも太陽のように輝いていなくてもいい。
月のように静かに寄り添う日があってもいい。
そのどちらにも、人を照らす温かな光があります。
ふと周りを見渡してみると、「明」という字は、私たちの暮らしの中にたくさんあります。
看板にも。
本の中にも。
子どもたちが書くノートにも。
見慣れていた一文字なのに、その中に太陽と月が寄り添っていることに気づくと、不思議と少し温かな気持ちになります。
そのたびに、「明」という一文字が、少しだけ違って見えてきます。
「明」という一文字が、「大丈夫」と、そっと微笑みかけてくれているように感じます。
これから「明」という字を目にしたとき、その中にある太陽と月を思い浮かべてみてください。
何気なく見ていた一文字が、昨日までとは少し違って見えるかもしれません。
太陽のように力強く照らす日があってもいい。
月のように静かに寄り添う日があってもいい。
そんな二つの光が寄り添って生まれた「明」という一文字は、私たちにも、誰かを照らすさまざまな優しさがあることを教えてくれているように思います。
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